人が強さを目指す姿勢に「尊敬」の念を抱き、自分に全てを伝えてくれようとする「優しさ」に「感謝」の心が生まれ、確かな「愛情」を感じ取ることで「従順」な気持ちになり、「謙虚」な姿勢で物事を受け入れることが出来るようになると私たちは考えます。
「道徳心の追求」とは、各自が自然に「尊敬」、「感謝」、「従順」な気持ちを抱くことのできる環境を作る事であり、ましてや言葉で言って聞かせることではないと考えます。全ては人間同士が触れ合う中で生まれる感情であり、優しく、笑顔で、しかし時には厳しく接することで道徳の心は芽生え、人と関わり合うことが楽しいと思う気持ちを育むことで「包容力」や「譲りあう心」を抱くことができると考えます。
そして結果として「礼儀」、「言葉使い」、「笑顔」と言い形で表れ、表情や立振舞はこれからの人間関係において、必ず役に立つものになると私たちは考えます。
人間は弱い、弱いからこそ強さに憧れ、強さを求めるのでしょう。しかし、求める強さが偏った考え方ではいけないと思います。
例えば腕力こそが強さと考える人が強さを手にしたとき、「強さ」は「暴力」しかなりません。
また、「唯我独尊」の如く、他人の意見を聞き入れない姿勢を「強さ」としている人は「人間関係対応能力」いわゆるコミュニケーション能力に乏しい人間になりかねません。「強さ」とは何かに特化したものではないし、ましてや結果はなく、人として日常生活を送っていく上で求められる「姿勢」であり「思考」であると考えます。
一つの「結果」を手にしたとき、それが強さだと勘違いして鼻を高くするのではなく、仲間に継承する事ができ、さらに自分は次の課題にチャレンジする姿勢こそが強さだと指導しています。